僕の星を、一言で表現しようとするならば、「つめたい」という表現が一番しっくりくる。
例を挙げるとするならば、まずは、真っ先に「青色」と「緑色」が無いと言おう。その色から君たちが思い浮かべているであろう、青空と言うものや、森林というものは、僕はまだ、生まれてから一度もこの目で見たことが無い。もっと言えば、この星は「赤」と「灰色」が支配している。空は毒々しい紅の雲で覆われ、大地は気味悪く、正しく蠢く機械と、無個性で、無表情で無感情の労働者で埋め尽くされている。
つまらないな。
特に目的もなく、理由もなく、指示通り動く。その場が凌げればいい。今日明日がどうにかなればいい。生きていられたら、なんでもいい。生きるために働いているだけ、というやつもいたが、働く動機が口先だけで、内容が空っぽなら、やつは、周囲のやつらとなんら変わらない。
言うなれば、この星は、『いきもの』がいないのだ。いきる目的も動機も目標も無い。みんな『死んでる』のと同じ。
そんなことを思いながら、僕はなんとなく、この星の歴史の本を読んでいた。
僕はやつらとは違う。そう思い込みたくて、僕は本ばかり読んだ。多分、今までもこれからもそうだと思う。でも、ただ読んで、満足した気になって、おしまい。折角積んだこの知識が、この先、生かされることは、残念ながら、無いだろう。悲しいものだ、虚しいものだ。取り巻く状況に不満を感じながら、脱しようとしないという点からみれば、僕も、その『死体』の中の、ひとつかもしれない。結局なんとなくで終わってしまっているからだ。でも、どうしても一緒にされたくなかった。本を読むという行為で、自分を立たせていたかったのかもしれない。ささやかで哀れな足掻きだとは思う。けど、本を読むことが、嫌いじゃなかったから。唯一、『いきているもの』を、想像させてくれたから。
そんな、茶色のローブを纏う小さな彼の隠れ家には、溢れんばかりの本が積まれていた。そして、彼は、数え切れない数の本に目を通していた。だから、彼は、本物を見たことがないというだけで、挿絵の青空を知っているし、挿絵の森林も知っている。もしも彼が、こうして沢山の本を読んでいなかったら、自分の星の赤い空や、灰色の地が、『異質』であるということに、気がつくことはなかっただろう。彼は知識が生かされることはない、と言ったが、気がつかないうちに、既に、確かに、生かされている。そして、この知識が、彼を箱庭から、逃がすことになるとは、知る由もないことだ。
そして、なんとなく項をめくる手が、ふと、止まった。彼の目が、ある挿絵に惹きつけられる。
なんだ、これ?
その時のことを、僕はよく覚えている。挿絵に顔を近づけたときの、ふんわりにおった黴のかおりも、手袋越しの、古めかした本の表面のざらざらした触り心地も、浮いた埃が、部屋に射し込む光に反射して、煌めいていたのも、同時に、しかも鮮明に、思い出せる。
それは一隻の、船だった。
もちろん、船なんて、沢山見てきた。思い出せる限りの船を正確に思い出していくが、このような船は見たことがなかった。
何せ、息も、止まってしまうほど、美しかったからだ。
洗練されたフォルムに、空色と白に統一されたデザイン、凛と構えるエンブレム、醸し出される神聖さは、思い出せた船全てに、圧倒的に優っていた。施される彫刻は繊細で、しかし大胆さを持ち合わせていて、まるで芸術品のようである。船体の側面についている羽は、本物の羽根のようなしなやかな弧を描いている。よくよく見ればオールがついていたり、かたそうな帆が張られていたりして、かなり不思議な船だが、その船の美しさの前ではそんなことはさして気に留めることではなかった。
そして、それにくわえて、不思議なことに、この船は、名前がついていないのだ。今まで見てきた船は、なんとか丸とか、なんとか号とか、必ず名前があった。なのに、この船は、ただ、少しいびつな挿絵の端に、控えめに、「伝説の舟」としか書いていないのである。大抵それなりに立派な船には、名前がついていて、それは所謂銘のようなもので、強さを誇示したり、大事にしていこうという意味をもたせるものだ。だから、名前がついていないのは、「誰のものでもない」、という意味なのだろうか。
もしもそうなら、欲しい。
ふと、その一言が浮かんだ。1番驚いたのは、その彼自身だった。
勿論読書は、自分が嫌いじゃないからしてる訳だが、進んで「読みたい」と思って本を読んでいた訳ではない。どちらかと言えば、なんとなくだった訳だ。本を読むことにしろ、なんでもなんとなく過ごしてきた僕にとっては、「欲しい」という感情は、とても新鮮なものだったのだ。
そして、僕は今、はっきり思った。これが「欲望」、というものなのか。なるほど。これが。
「…いいネ」
まるで血がにえるような、この気持ちは、けして悪くない。
*
「たかが船一隻のことなのに」と、自分自身で思ってしまうほど、僕はそれに首を突っ込んでいた。でも、あの船を思い出すと、やはり項をめくる手を止められない。
もしかして僕は、あの船に一目惚れをしてしまったんじゃないだろうか。そうかもしれない。いや、きっとそうなんだろう。きっと僕の欲望は、恋い焦がれる気持ちに、最も近しい。
実は、僕の星が、かつて古代人の文明で栄えた星で、その古代人によって創られた船である、ということまでは突き止めてある。そして、その船が、この星の一番大きな火山の下に眠っている可能性が最も高いのも突き止めた。
問題は、どうやって掘り出すか、だった。
僕は、非力だ。
そんなことは自分が1番よくわかっていることだった。
非力な僕が、どうやってあんな大きな岩の塊から、いかに効率良く伝説の舟を掘り出すか。今悩んでいるのはそれだ。
僕は、効率が悪いのは嫌いである。何事も効率よく済ませられなければ、後味が悪いと思ってしまう。だから、やろうと思えば、ダイナマイトのようなもので、どかんと一発やって、岩をよけるなんてことも出来るのだが、ダイナマイトを作るための材料を集めるのは手間だし、何よりその岩をよける道具が無いから、また岩をよける方法を考えなければならない。非常に非効率だ。
そういうわけで、ここ2日はぶっ続けでそればかり考えている。どんだけあの船にぞっこんなんだろう、僕。頭が痛い。
「…アーア、魔法なんてものが、本当にあったらいいノニナァ」
まるで、芋娘の汚い服を、一瞬でドレスに変えてしまうように。そうしたら、きっと岩の塊なんて、ひょひょいのひょいなのに。まあ、そんな都合のいいことなんて。
…ん?今、僕何て言った?
ああそうか、その手があったか!僕は、すっかり埃を被ったであろうその本を、すぐ探しにかかった。
*
ゆっくりと、その本に描かれた通りに魔法陣をかいていく。
君たちが思っているより宇宙というものは、もっとずっと広くて大きいのだ。だから、この宇宙には、「魔法学入門書」なんて本も存在し得る。一度しか題を見たこと無いのに、覚えてた僕ってば、えらい。描き終えた魔法陣も、なかなかいい出来だ。まずは初級のものから。先ほど描いた魔法陣の中心で、本を片手に詠唱する。
「テイ!」
一瞬光に包まれる。すると、僕が想像していた通りの服に纏われた。
まるで、先程まで着ていた小汚いローブが、嘘みたいだった。この星の歴史の本に載っていた、古代人の服装そのままに纏われた。まるで空のような鮮やかな青、眩しい白、花のような黄色。そのままとは言っても、いびつな挿絵の想像でできているため、当時の古代人の完全再現とはいかないかもしれないが、少なくともその挿絵から、くまなく描いた僕の想像通りであった。くるりと一回りすると、純白の光の粒が、はじけた。
ふと、服の色が眩しくて、目を細めてしまう。
もしも、ほんとうに、それらが、存在するならば。
青空とは、こういう色なのだろうか。
雲とは、こういう色なのだろうか。
花とは、こういう色なのだろうか。
色たちは、僕の疑問など、関係ないとでも言うように、ただひたすら、輝いた。本物を見たことが一度も無いのだから、疑問は確信というものになれない。所詮、僕の描いた、空想でしかない。永遠に、「 ほんとう」には、なれない。
こんなの、虚しいだけだ。
僕が描いた魔法陣に、睨みつけられてる気がした。
ひとつ、ため息をついて、小さな彼は、白いマントを翻し、別の作業にとりかかった。
*
いよいよ、だ。
僕は魔法陣も詠唱も無しで、魔法を発動させるぐらいには、腕を上達させた。上級編の魔法に、少しアレンジを加えて、より強力にしてみたり、本に載っていない、完全オリジナルの魔法も作ってみたりした。今の僕は、波動さえも操ることができる。僕が弱っちいことには、変わりないけども。
「待っててネ、ボクが今すぐに、そこから連れ出してあげるカラネ」
厚い岩の壁の向こうにあるであろう名もなき船に、小さく語りかけた。