赤茶けた大地に、ぱりと渇いた風が走っていく。東の遠くの山の端には、第二衛星が今日日4度目の旭日昇天を迎え、西の平地には、蜃気楼が幻を生み、ぼくがここへ来るまでの軌跡を惑わすのだ。
「いやな風だなあ」
誰も何も聞いちゃあくれないが、つい小言をこぼしてしまう。鉄のきつい臭いが鼻につく。すうと口で息をひとつ吸っても、中が砂でじゃりついて、どうしようもない。少ししょっぱい小さな水溜りが、風にゆられて波紋を生み出した。
この星ももう、潮時だろうか。
気持ち悪いほど冴えた、空のターコイズブルーには、荒んだ土壌のクリムゾンが似合う、皮肉なことに。そんなことを思いながら、目を細めて、星の旅人は、水溜りを覗き込んだ。
この星は、それなりに居心地がよかったのだ。風が通るたびさわさわそよぐ自然がたくさんあることや、空気がすうっと清らかに澄んでいること、海に燃える恒星が紅く煌き沈むこと、食べ物がとても美味しいこと。当たり前のように美しいものがあった。
うまれたてのこの星には、まだまだ未来があったのだ。海から生物がうまれ、陸に上がり進化をし、同族のような知能をもつ生命が、生きる星になったかもしれなかった。文明をうみ、発展し、大勢の同士が生まれたのかもしれなかった。
しかし、不運にも、隕石の衝突によって、均衡を保っていた環境が、簡単に、脆く、崩れてしまった。砂山と一緒で、積み上げるのは難しくても、崩していくのは簡単だ。
星の死に目には何度も出会ってきたが、慣れたものではない。今回のように、隕石の衝突によって死ぬ星、新たな星の誕生や生命同士の戦いに巻き込まれて死ぬ星、寿命によって死ぬ星。早く死ぬ星、割とながく生きる星。なんにせよ、星の死に目に会うその度に、僕はまた、住めるような環境の、新しい星を探さねばならない。
星を捨てるということそのものに、いつの間にか罪悪感を感じなくなった。そういうじぶんに、悲しみと、切なさと、あわれさを感じるようになった。誰にも会わなすぎたのだ。ながく一人で生きすぎた。これからもきっとそうだ。こうしてこれからを諦観していくのは、とてもむなしく、救いようのないものだ。
僕は、何のために生まれて、何に喜びを感じていたのだったか。
同郷のことは、遠い昔のことなので、懐かしさばかりが先に思い出されて、具体的に何がどう幸せであったのかすら、思い出せないのだ。何を食べ、誰と共に、何を喜びあって、生きていたのか。こうやって星と星を巡り、自分のあるべき場所を探すうちに、そういうことを、こころのどこかに、くしゃくしゃに詰め込んで、閉じ込めてしまった。引き出し方も、分からなくなってしまってはどうしようもない。きゅうと、胸のどこかが痛んでも、わからないふりをする。その気持ちを引っ張り出して、悲しみを振り返ることの方が、経験上辛いのを知っているからだ。つまらない生き方をするようになってしまった。なるべく疲れないように、なるべく辛くないように、そうやって選んで生きている。
また、旅に出なければならない。ひとりぽっちは、仕方がない。慣れているはずなのだ。きっと慣れているはずなのだ。
昔僕が捕まえた子ども星を呼び出し、僕はそこにまたがる。ぴかぴか煌き瞬きながら、ぴゅんと勢いよく飛び出し、空を貫き、大気圏に突入する。
後ろを振り返ると、緑と碧だったかつての見る影もないその星に、また少し絶望した。豆粒みたいに、小さく小さくなっていくその星に、何度目かのさよならをした。